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大阪家庭裁判所 昭和60年(少)4748号 決定 1985年7月15日

少年 I・M子(昭44.10.21生)

主文

少年を大阪保護観察所の保護観察に付する。

理由

(非行に至る経緯)

1  少年の身上

少年は鉄工所の工員であった父A(昭和17年8月31日生)、母B子(同21年12月9日生)の次女として大阪府東大阪市で生まれ、長女C子(同43年10月21日生)、三女D子(同46年5月22日生)、長男E(同48年11月18日生)とともに両親に愛育されて健やかに成長し、非行等の問題行動とは全く無縁なままに地元の小・中学校を終え、同60年4月に大阪府立○○高校に入学し、現在同高校の1年生である。

2  家庭の状況

父Aは、昭和46年に一家が肩書住居地に引っ越したのを機に勤務先の工場を辞めて自ら鉄工所の経営を始め、母B子においてもその工場を手伝いながら子供達を養育し、途次不渡手形をつかまされて倒産の憂き目に遭ったこともあったが、規模を縮小するなどして本件発生に至るまで○○鉄工所という名称で従業員1名を雇って工場を続け、他方家庭にあっても同59年6月ころまでは家族を愛する優しい父親、夫として家族から尊敬と情愛を受けていた。

ところで父Aは、生来の酒好きに加え、同58年7月に交通事故に遭って右足を骨折し、仕事の指図、段取りを除いて工場での作業が出来なくなって暇ができたことや、事故の賠償金が入ったことから、同59年6月以降外へ飲みに出ることが多くなり、一回の飲酒量も多量になって泥酔状態で帰宅することもあった。そしてこのころから近所のスナツク「○○○」の女店主(以下ママという。)に恋慕の情を抱くようになり、同スナツクに頻繁に通い始めた。同年9月父Aは骨折部位の再手術を受けるため近くの病院に入院したが、2週間の入院期間中に前記スナツクのママが5・6回見舞いに訪れ、病院内の他の患者の間でも同女との親密な関係が話題となるほどであり、母B子も父Aとママの関係に気付き始めた。そして退院後父Aは公然と同スナツクに出入りするようになり、それとともに同人と母B子との間でこれらのことに関して諍いが起るようになり、父Aが飲酒して帰宅した夜には、子供達の面前で喧嘩が始まり、難詰する母B子に対して父Aが腕力にものをいわせて乱暴な振舞いに出るようになった。父Aの飲酒は年が明けた同60年1月以降ますます激しくなり、1・2日おきに飲みに出て朝方まで帰宅せず、日中はほとんど仕事をしないで寝ていたり喫茶店で時間をつぶし、飲酒する度に夫婦喧嘩を繰り返していたが、同人に代わって鉄工所の経営にも携わるようになった母B子が飲酒や浮気のことでいさめたり小言をいうと、酒に酔った勢いで、「殺してやる」「片端にしてやる」とかの暴言を吐きながら、同女の体に火のついたタバコを押し当て、あるいはその顔や体を所かまわず殴ったり足蹴にし、子供達が見かねて止めに入ってもこれを振り払って乱暴を続けるようになり、更に炊事場から包丁を持ち出して同女に切りつけようとしたこともあったため、家族の者は包丁を普段は米びつや電子レンジの中に隠していたが、父Aの暴れ方が余りに激しいときは最寄りの警察署に連絡して警察官の臨場を請い、同人の乱暴狼藉を取り押えてもらっていた。そのため母B子の体は全身あざだらけで生傷が絶えず、しかも父Aの浮気心や酒乱が一向におさまる気配を見せなかったことから、同女においても同人との離婚を何度か考えたが、今後の生活に対する不安や少年が父の許に残ると述べたので、離婚に踏み切れないまま同居を続けていた。他方子供達も、父Aのあまりの変わり様に戸惑いを示すとともに、同人の酒乱の原因が浮気と深酒にあることを知って同人に対するやり切れない思いを抱いていたが、明らかに非のある同人が酒を飲んで無抵抗の母B子に3日をあけずに暴力を振う様を見るにつけ、もとの仲の良い夫婦に戻って欲しいと願う反面、母の思いと同様に父がこの家から居なくなってくれたらよいと同人を疎ましく感じるようになっていた。

3  本件当日の状況

本件の発生した同年5月18日、父Aは昼すぎから自宅の炊事場兼食堂(以下炊事場という。)でビールを飲み、母B子に小言をいわれたが、いつものような乱暴な振舞いに出ることなくこれを黙殺し、まもなく迎えにきていた友人と連れ立って知人の病気見舞いに出掛け、その後前記スナツクに立寄って飲酒したうえ午後10時ころ帰宅した。そして更に炊事場において1人で冷酒をあおっていたが、昼間母B子から友人の前で小言をいわれたことへの憤怒の情が抑え切れず、同11時ころ母B子が風呂屋から子供部屋及び寝室のある母屋に戻ってきたのを知るや同所に赴き、子供達を屋外に追い出したうえ、同女に向かって「この女よう昼間恥かかして、ちょっと仕事をしているかと思って大きな顔しやがって。」と怒鳴りつけたところ、同女から「あんた昼間から今まで飲んでいて何よ。」と反駁されたため逆上し、「何を。」といって同女に掴みかかり、無抵抗の同女に対し「指を詰めてやる。」などと怒号しながら殴る、蹴る、踏んづける等の乱暴を働きはじめた。同女が苦痛のあまり悲鳴をあげ続けると、これを聞いた子供達が心配して母屋に入ってきたが、その際少年は父の乱暴を何とかしなければとの思いから、炊事場の電子レンジ内にしまってあった刺身包丁を持ち出し、子供部屋の弟Eの机の抽き出しに隠し置いた。子供達は母を救うため父の行動を止めに入ったが、荒れ狂う父を制止することは容易に叶わず、かえって父から「子供は外へ出とけ。」と怒鳴られたため再度屋外に出た。しかしながら父の暴力はおさまる気配を見せず、相変わらず屋内から父の怒号と母の泣き声まじりの悲鳴が聞こえてくるので、子供達はいてもたってもおられず再び母屋に入って父を制止しようとしたが、同人は異常なまでに興奮して子供達の介入をはねつけて母に対する過酷な暴力を止めない様子であった。そのため、母を救うにはこのうえは警察官に来てもらうしか方法がないと考えた少年が「警察にいうで。」といって子供部屋の電話機の受話器を取ろうとしたところ、これを見た父は少年のもとに駆け寄って電話機を取り上げ、コードを引きちぎってこれを玄関に向けて投げつけ、更に引き続き母に暴力を振う有様であった。そこで長女C子と長男Eは警察へ連絡すべく屋外に走り出た。

(非行事実)

少年は、同日午後11時30分ころ、肩書住居地の母屋の子供部屋において、子供達の度重なる制止にもかかわらず無抵抗の母B子へ暴行虐待を加え続ける父A(当時42歳)の態度を眼前にして、日ごろからの同人に対する憤怒の情が一挙に高まり、このような状況を解決するにはあらかじめ用意した包丁を持ち出すしか方法がないと考え、母を屋外に逃がすとすぐさま、刃体の長さ約21センチメートルの上記刺身包丁(昭和60年押第651号符号1)を弟の机の抽き出しから取り出して両手で握りしめ、父が死亡するに至るかも知れないことを認識しながら、あえて、正対する同人の上腹部中央付近をめがけて前記包丁を1回突き刺し、腹部大動脈に達する深さ約12センチメートルの上腹部刺創の傷害を負わせ、その結果翌19日午前零時46分大阪府東大阪市○○○×丁目×番××号○○病院において、同人を上記刺創に基づく腹部大動脈切破による出血のため死亡するに至らしめたものである。]

(法令の適用)

刑法199条

(少年を保護観察に付した理由)

本件は、年端もゆかない少年が一刀のもとに父を刺し殺したという衝撃的且つ重大な事案であり、その年齢の点で法律上検察官送致は行いえないものの、殺人という罪名からは厳しい保護処分が想起されるにもかかわらず、当裁判所が施設収容を見合わせて在宅処遇である保護観察を選択した理由は下記のとおりである。

ちなみに関係機関の処遇意見は次のとおりである。

司法警察員       保護観察

検察官         少年院(短期)

少年鑑別所       中等少年院(長期)

当庁調査官(共同調査) 保護観察

1  本件に至る事実の流れを見ると、少年の側にも幾多の問題とすべき因子があるものの、本件の最も重大な生因をなしているのは被害者である父Aの乱脈な生活ぶりである。妻と若年の4人の子供を抱えて一家の支柱とならなければならないにもかかわらず、交通事故の賠償金が入ったことから生活を持ちくずし、仕事はほとんど妻に任せ切りで、飲酒や女性関係にうつつを抜かした挙句、その非を妻からあげつらわれるや、子供の面前であろうがなかろうが所かまわず暴力を振って妻の反抗を押さえつけ、自己の行動を忍従させてきたのであって、これらの行為が子供の心に落した影は大きく、父Aが家庭における自己の立場や子供達への影響に一刻も早く気付き、的確に身を処していたならば本件は絶対に惹起されることはなかったのであり、同人の行状が本件における決定的要因であったといっても過言ではないのである。もっともその暴力は妻に向けられたものであり、少年が暴力を振われたのは夫婦間の争いを止めようとしてこれに介入したときだけであったが、夫婦間に暴力沙汰が起きれば家庭を絶対的基盤とする子供に対し鋭敏にはね返るのは見やすい道理であるから、そのことを処遇の選択にあたって重く考えるのは相当ではない。

2  少年は現在大阪府立○○高校の1年生であるが、過去問題を起したことや非行歴は全くなく、小学生のときは毎年精勤賞を受賞し、中学生のときは3年間を通じて欠席は1日にすぎず、高校入学後も事件発生まで欠席はなく、本件で大阪少年鑑別所に収容されている間も教科書を差入れてもらって毎日勉強するなど勉学意欲は極めて旺盛であるのみならず、その性格も明朗快活で何事にも積極的であるうえ正義感も強く、級友からも親しまれ、クラスでもリーダーシツプを発揮する模範的生徒であった。そのような少年であるがゆえに、本件を知った周辺の人々は皆一様に驚き、また少年に対して同情が集まったのである。

しかしながら、父Aは生活を乱すまでは酒好きではあったが反面仕事熱心で子煩悩な父親であったのであり、休日には家族連れで食事やドライブに出かけており、そのような生活が10数年続いてきたのであって、父が飲酒のうえ乱暴を働くようになったのは去年10月以降の半年余りにすぎないことや、本件は母B子に対する危害が一応消滅した後(母は屋外に逃げ出し、屋内に残った少年や三女D子に対し父が乱暴する様子はなかった)に敢行されたものであるうえ、上記したとおり父の浮気や乱暴の直接的被害者は母であって少年ではなかったことに徴すると、少年が父に対する反感を有し、家庭に絶望感を抱いていたとしても、鋭利な刺身包丁を持ち出して父を殺害しなければならないほどの客観的状況にあったとは認め難く、本件については少年に内在する性格的負因が看過しえない因子となっていることは疑いを容れないところである。そして、それは鑑別結果通知書や少年調査票にも指摘されているように、過度の完全主義・潔癖主義から、思考の柔軟性、共感性に欠け、バランスのとれた余裕のある考え方が出来ず、一人よがりの考え方に固執して性急に断定的結論を下し、「自分がやらねば。」という頑なまでの自負のもとに、行動に移るという点にあると思われる。本件においても、父が亡くなれば母や兄弟がいかに悲しみ、また彼らの将来にいかなる影響が生じるかということに思いをはせることなく、眼前の葛藤場面にのみ眼を奪われ(少年が刺身包丁を弟Eの勉強机に忍ばせたとき、それを見ていた同人から「姉ちやん、やめとき。」と諭されている。)、性急に殺害行為に出ているのである。そして本件敢行後もしばらくの間は自己の行為の正当性に固執して、内省が必ずしも十分出来ず、罪障感も薄かったのである。

3  このように見てくると、本件は父の乱脈な生活(浮気心と酒を飲んだうえの母に対する暴力)と少年の性格的負因が相俟って発生した悲劇的な重大事件といえるが、結果の重大性や少年の物の見方、考え方の狭隘性、更には事案の重大性に対する認識や罪障感が十分とはいえなかったことを考慮すれば、検察官や少年鑑別所の意見のように冷却期間を置いて少年の内省を促す意味で少年院へ収容することも十分に考えられるところではあるが、本件の決定的ともいえる要因は上記したとおり被害者である父にあること、少年は兄弟姉妹のうちでは父母の葛藤を最も真剣に受け止め、常に積極的に父の暴力を止めに入っていたのであって、本件はこの仲裁の挫折を繰り返し味わった挙句の非行であって少年を一概に責めることは出来ないこと、少年の性格、思考形式に問題があることは否定できないが、社会生活を営んでいくうえに直ちに障害となり、再び本件のような非行を犯していくとは考えにくいこと、本件に関しては身柄釈放後当庁において付添人、調査官を交えて3度にわたつて審判を重ねてきたが、その過程において少年は自己の非に気付き深い反省を示し始めるとともに、自己の性格・思考形式の問題点について眼を向けるようになったこと、在学中の○○高校では少年の辿ってきた環境や本件の背景を検討した結果同女を受け入れ、引き続き在学させていく意向を有しており、現に同校教師が毎日同女方を訪ずれて教科の指導にあたっていること、少年の居住する地域においても同女を積極的に指導して立ち直らせようという気運が生じていること、母も少年の監護には意欲を持っていること、少年には非行歴がなく、また勉学意欲も強いことを考慮すると、仮に責任という観点から見ても結果の大きさに比して少年の責任は小さく、またその問題性も非行性という面では少年院に収容して厳格な矯正教育を行わなければならないような性質のものとは考えられず、かえって少年院への収容に踏み切ることは本件によつて大きなハンディキャップを背負って生きてゆかねばならなくなった少年に更に大きな負担をかすこととなって円滑な社会復帰に支障をきたす虞れが高く、少年を少年院へ収容することは相当とはいいがたい。そして少年の問題性は、保護観察が深い配慮をもって適切に行われたならば、解消される性質のものであるし、仮にそれが解消されるまでに至らなくとも本件の如き極限的事態に立ち到つても少年が二度と非行に陥るおそれはなくなるものと思料されるので、本件については結果は重大であるが少年に対しては保護観察をもつて臨むこととした次第である。

ただ保護観察が実効あるものとして機能するためには、単に地域の保護司による働きかけでは十分ではなく、保護観察官による直接的働きかけが不可欠であるとともに、その期間についても相当長期にわたる指導がなされる必要があると思料されるので、少年審判規則38条2項に則り保護観察所に対してその旨の処遇勧告を行うこととする。

よつて、少年法24条1項1号、少年審判規則37条1項に基づいて主文のとおり決定する。

(裁判官 野村直之)

処遇勧告書<省略>

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